PEOPLE
2021.05.14.FRI
MY SUSTAINABLE LIFE
#04
芸術家・立石従寛 "脱ヒト中心"
音楽家、美術家、人工知能開発者など、多彩な顔を持つクリエイターの立石従寛(たていし・じゅかん)さん。SNSのハッシュタグに紐付いた膨大なイメージを、人工知能を使って再構築することにより、人々の持つ言葉とイメージの関係を現したシリーズや、実際の自然の中に人工知能のつくり出した自然音を溶け込ませたインスタレーション作品など、アートとテクノロジーを融合させたさまざまな活動を展開されています。
「人工物」も含めて考えていくのが自分のサステナブル
――人工知能、立体音響、写真、建築など、さまざまな手法を用い、ジャンルレスな作品を発表していらっしゃる従寛さん。作品制作において共通するテーマはありますか?
――「人」と「自然」だけではなく、「人工物」という現代に不可欠なものも含めた関係を考えていく、まさに新しいサステナブルですね。具体的にはどのような作品があるのでしょうか?
例えば、2019年に京都府立植物園で開催されたガイドツアー式展覧会「生きられた庭」(髙木遊キュレーション)では、 “つくられた自然”の中の、“つくりきれなかった自然”を探し当てて、両者を“人工知能”でつなぎとめる、という作品を制作しました。
京都府立植物園は、展覧会の前年、2018年に起こった巨大な台風で、園内の多くの木々がなぎ倒されてしまったのですが、倒れた木々の中には、重機を使っても運び出せないくらい大きなものもありました。そこで、植物園の方々は、「せっかくだから、運び出して処分できない木々が集まった場所を活用して、ビオトープをつくろう」と考えたんです。
その話を聞いたとき、僕は「その場所、めっちゃおもしろい!」って思いました。“つくられた自然”の代表とも言えるような植物園の中にある、台風という“自然”に抗えなかった場所で、ビオトープという“つくられた自然”をつくろうとしている。これってめっちゃおもしろいなって。
――確かに、なんだか不思議な構造を持つ場所ですね。
なので、そんなおもしろい構造を、人工知能を使って再現したいと考えました。例えば、そのビオトープ内に、人工知能をイメージしたオブジェを置いたり、人工知能でつくった鳥の声を地面に埋めたスピーカーから流したり。人工知能でつくった鳥の声は、自分も含めてみんな、どこからが人工知能がつくった声で、どこからが本当にそこにいる鳥の声なのか、境界線がわからなかったくらい。人工知能と本物の鳥が共鳴しているようにも聞こえたけれど、もしかすると、ロボットが人間に似過ぎたとき違和感を覚える「不気味の谷現象」が鳥たちに起きていたのかもしれない。
このような作品を通して、今後の人間と自然の関係はどうなっていくのだろうか、人間が自然を支配する時代は終わったのではないか、といった問いを投げかけています。
同じところをただ循環していても無駄。
音楽だって、2回目のAメロは意味が変わる
――他に、「人」と「自然」と「人工物」との関係性にスポットを当てる、新しいサステナブルにつながるような制作はありますか?
日常生活の中から生まれた作品もあります。例えば、子どもの保育園の送り迎えの道中で路上に落ちているモノを拾って、写真撮影してウェブサイトにアップしていたことがありました。その一つひとつのモノが持っているストーリーや持ち主の想いを想像しながら、ちょっとした供養みたいな感じで。
東京みたいな都市に暮らしていると、直接サステナビリティに貢献できることってあまりないじゃないですか。「ある製品をひとつ買うごとに1本の木が植樹されます」というキャンペーンが展開されていたとして、われわれにできることといえばその製品を買うことだけ。つまり、自然に影響するであろう人工物をコントロールすることだけ。
そんなことを考えながら、「人」と「自然」と「人工物」の想いをつなげてあげるような感覚で撮り続けた作品でしたね。
――現在、活動の拠点を長野と東京の2カ所に置いている従寛さん。長野では、都心とはまた違った活動をされているのでしょうか?
作家活動の延長としてですが、見捨てられた人工林の象徴ともいえる「軽井沢の原風景」を、アップデートさせるかたちで取り戻す活動を展開しています。戦後、木材需要の激増とともに植林ラッシュが相次ぎましたが、1970年代後半に木材の輸入制限が緩和された結果、多くの人工林が放棄されたんです。そのように植生が変わったことで、微生物や虫、鳥、動物たちの暮らす場所も変わり、ひと昔前の新陳代謝が失われてしまった。そんな事実を背景にスタートしました。
この活動で大事にしたいのは、植林前とまったく同じ状態を目指すのではなく、「持続可能であること」です。同じところを循環するのではなく、螺旋みたいに1周目2周目と変わっていかないと意味がない。音楽だってそうで、Aメロ、Bメロ、サビのあと再びAメロに戻ったとき、Aメロの意味が変わってきたりしますよね。それと同じで、もともとの理念に基づいて、今のわれわれだからこそ実現できる「新しいかたち」に変えていくことが必要だと思います。
「人間中心」の考えに陥っていては結局何も変わらない。
あらゆる生物の視点に立ってみないと
――新しい理想を生み出すためにも、もともとあった形をきちんと理解しておくことが大切ですね。
千利休が遺した「守り尽くして破るとも 離るるとても本を忘るな」という言葉や、この言葉から3文字を引用した「守・破・離(しゅ・は・り)」の通りだと思います。時代や環境だったり、道具だったりが変わったことで、結果的に形を変えることになっても、もともとの精神は忘れてはいけない。祖父の時代に「機械」だったものが「人工物」に置き換わった現代においても、「人間」と「自然」の関係性や、地球のことを考えていくことには変わりありません。
ただ、多くの人は地球や環境のことを考えるとき、どうしても「人間中心」の考えに陥ってしまう。サステナビリティのことを考えるにしても、あらゆる生物の視点に立ってみることができないと、結局何も変わらないように思えます。
――では、持続可能な社会の実現のため、従寛さんが今一番必要だと思うのは、どんなことでしょうか?
懐古主義的に、ただただ人や自然のことを考えるのではなく、人工知能や仮想現実も含めた「科学技術」をほどよく使って、よりよい社会を目指すのもひとつの方法だと思っています。アーミッシュ(聖書に生活の規範を求めて、農耕や牧畜を中心とした伝統的な自給自足生活を行う宗教的共同体)みたいに「電気などの技術は全く使いません!」というのもあるけれど、せっかく培ってきた技術をうまく使いながら自然と共生していきたい。
とはいえ簡単にはいかないし、社会を変えるためには組織を変える必要があって、組織を変えるためには一人ひとりが変わる必要がある。じゃあ個人が変わるにはどうすればいいのかというと、一番手っ取り早いのは、暮らしを見直すことだと思います。毎日食べているものや着ているものが、どこからきてどこにいくのか。真善美の価値観を持って一人ひとりが考え、丁寧に暮らすことを始めることで、身近な人が変わり、地域、国、世界まで変わり始めるんじゃないかな。
Profile:立石 従寛
美術家・音楽家。仮想現実に流れる人間像の観察をテーマに、人工知能、立体音響、写真、建築手法を用いたインスタレーションを展開している。主な展示に「沈んだ世界のアンカー」(SPIRAL HALL、2019)、「生きられた庭」(京都府立植物園、2019)、「Allscape in a Hall」(Artists’ Fair Kyoto、2020)。主な音楽作品に「Re: Incarnation」(清水寺、2021)、「ことばおどる」(NHK、2019)、「Voyage in Sound」(AirBnB、2017)など。英国王立芸術学院(RCA)首席修了。ノンヒューマンを考察。
HP : https://jukan.co/